オリンピックメダルの歴史は?デザイン変遷や製造方法について
1964年の東京オリンピック以降、記念すべき開催国となった日本。新型コロナウイルスの影響で延期となりましたが、それでも特別な記念として多くの関心を寄せていますね。オリンピックではメダルの数にも注目が集まりますが、そのメダルの歴史を意識したことはありますか?今回は、オリンピックに使われるメダルのお話です。
オリンピックメダルに金・銀・銅が採用され始めた背景
オリンピックでは、初めから金・銀・銅のメダルが授与されていたのか気になりますよね。実は、近代オリンピックの第1回となった1896年のアテネ五輪では、今とは違う点がたくさんあります。
最大の違いとも言えるのは、参加資格です。この頃には、まだ女性の参加資格は与えられておらず、選手は皆男性でした。参加国、競技、種目別のルールなども現代とは違うことが数えきれないほどありました。メダルの色も今とは違い、1位の選手には銀メダルを、そして2位の選手には銅メダルが授与されました。
つまり、第1回アテネ五輪では、金メダルという存在そのものがなく、3位の選手にはメダルの授与もなかったということです。なぜ金メダルがなかったのかというと、当時の金の価格が非常に高価だったことが影響していると言われています。
オリンピックのメダルが今のように金・銀・銅となったのは、それから8年後のことでした。金属の価値を考慮した結果、このような位置付けになったという説が一般的なようです。これには他の説もあり、ギリシャ神話の黄金時代、白銀時代、青銅時代、鉄の時代という区分に由来するとも言われています。
オリンピックメダルのサイズや形の規定
オリンピックメダルの形や大きさなどが厳密に決められたのも、第1回アテネ五輪を終えてしばらく経ってからのことでした。
現在のオリンピックメダルの規定には、以下のような基準があるようです。
- メダルは円形
- 直径7~12cm、厚さ3~10mm、重さは500~800g
- 1位及び2位のメダルは銀製で、少なくとも純度1000分の925であるもの
- 1位のメダルには少なくとも6gの純金で金張り(又はメッキ)
このように、金メダルの素材は実は銀が使われています。そして使われている銀は純銀ではなく、銅を混ぜたものとなっており、これは強度を保つためのようです。
金メダルは金ではないということに驚いている方も多いでしょうが、1912年ストックホルムオリンピックまでは純金が使われていました。しかし、開催国に経済的な不利が生じないよう配慮され、今のような規定になったと言われています。
このようなオリンピックメダルの規定がない時代のメダルの形状が気になってきますね。第1回アテネ五輪で授与されたメダルは直径約5cm、厚さ3.6mmと、大きさとしては今よりかなり小ぶりだったことが分かります。
そして、第1回は円形だったメダルも、第2回パリ五輪では四角形になったという例外もあるようです。四角形のメダルは、なかなか想像しづらいものがありますね。
1964年の「東京オリンピック」のメダルの歴史
さて、それでは1964年の東京オリンピックに採用されたメダルについても見てみましょう。
東京オリンピックでの日本の活躍
1964年の東京オリンピックは、歴史に残るものだったと言います。まず、日本を含むアジアの地域で初めての開催でした。そして、有色人種国家においても初開催だったようです。日本が第二次世界大戦で敗戦後、急速に復活を遂げた象徴でもあり、開催に向けて交通網が飛躍的に発展するだけでなく、数々の競技施設などの施設が充実し好景気をもたらします。
日本人選手の活躍も素晴らしかったようで、この大会で日本が獲得した金メダルは16個。アメリカ・ソ連に次ぐ第3位という快挙を成し遂げています。自国開催のメリットはたくさんありますが、特に自国開催によって出場枠が確保できていたことが有利だったと考えられています。
東京オリンピックのメダルは造幣局で作成
いまだその時のことを覚えている人も多い、1964年に行われた東京オリンピック。この時のメダルについても気になりますよね。今から60年くらい前ですから、当時のことを知っている人でもメダルのことまで覚えている人は少ないかもしれません。
この時のオリンピックメダルは、ルールにのっとり大蔵省造幣局の工芸官の方が原型を作ったのだそうです。金・銀・銅ともに同じデザインで、表には勝利をおさめた人を掲げる男性の姿が、そして裏には勝利の女神になっていました。
長野冬季オリンピックのメダルは個性的
さて、冬季オリンピックのメダルについても少し触れてみましょう。冬季オリンピックのメダルは、開催地ならではの個性的な面が光る傾向にあるようです。日本では、1998年に長野オリンピックが開催されましたね。その時は、日本ならではの技術が駆使されたものとなったことをご存じですか?
長野オリンピックのメダルには、なんと漆器の技術が用いられたそうです。中心部には木曽漆器の技術が織り込まれ、メダルの外枠には金・銀・銅があしらわれたそう。金属の部分は日本を代表する企業のひとつ、セイコーエプソンが手掛けています。そして、造幣局のもつ技術と、七宝が組み合わさり、とても素敵なメダルになっています。
このメダルの製作には、30段階にも及ぶ工程を経ているようです。日本の伝統的な技術や文化が感じられるメダルは、多くの人の感動をもたらしたことでしょう。
このように、冬季オリンピックは規格が決まっている夏季オリンピックに比べると、個性的なデザインで楽しめます。イタリアのトリノで開催されたトリノオリンピックのメダルが、ドーナツ状になっていたことは記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。
オリンピックメダルのデザイン変遷
※東京都オリンピック・パラリンピック教育のウェブサイトより引用
https://www.o.p.edu.metro.tokyo.jp
オリンピックメダルが、現代までにどう変化してきたのか見てみましょう。以下の写真やそれぞれのオリンピックメダルの写真は、すべて東京都オリンピック・パラリンピック教育のウェブサイトに掲載されている写真です。
まずは、近代オリンピックの幕開けとなった1896年の第1回アテネオリンピックのメダルを見てみましょう。先ほどもご紹介したように、この大会では優勝メダルの色が銀色でした。大きくデザインされているのは主神ゼウス。勝利の女王であるニケを手に持っている姿となっています。
そして、第2回のパリオリンピックのメダルです。早くも優勝メダルの色が金色に変更となっています。一目瞭然なのは、その形の違いです。オリンピックメダルとしては唯一の四角形になっていますね。女神ニケの姿がシンプルにデザインされています。
1928年、オランダのアムステルダムで開催された時のメダルです。勝利の女神・ニケが月桂樹とシュロの小枝を手にした姿がデザインされています。このデザインは、そのまましばらく引き継がれることとなります。ここから、オリンピックメダルは1968年のメキシコシティでの開催まで同じデザインが採用されています。開催国によって多少異なる点がある場合もあります。
1964年、日本で開催された時のメダルです。金色がひときわ美しく、明るいのが印象的です。この時期はまだ1928年からのデザインが引き継がれている途中です。
1972年、ドイツのミュンヘンで開かれた時のメダルです。メダルの裏面のデザインが変更となり、これ以降はしばらく裏面のデザイン変更を繰り返すこととなります。印象的な二人の姿は、ギリシャ神話に登場するカストルとボルックスにちなんだものだそうです。
長らく同じデザインが採用されていた表面が変更になったのは、1992年のスペインで開かれたバルセロナオリンピックでした。これまでと似たデザインではありますが、勝利の女神・ニケの姿が現代的に変わっています。これは、スペインの彫刻家であるザビエル・コルベロによって手掛けられました。
また表面のデザインが変更となっています。こちらは、2004年のアテネオリンピックのメダルです。アテネでのオリンピックはこれで2回目となります。勝利の女神ニケがスタジアムで勝者をお祝いする様子がデザインされているようです。
2004年のアテネオリンピック以降、一部例外はあるものの表面のデザインは引き継がれています。北京、ロンドン、リオデジャネイロを経て、とうとう日本での開催です。ご承知のように、2020年東京オリンピックは新型コロナウイルスの影響で延期となりました。すでに公開されている情報をみると、東京オリンピックにおいても2004年アテネオリンピックのデザインが引き継がれていることが分かります。
ここでは、オリンピックのメダルの歴史についてご紹介しました。オリンピックメダルは、開催国で受け継がれ、時代とともに変化していることが分かります。よく見てみると、同じようなデザインでもちょっとした違いがあるなど、その国のこだわりが伝わってくるのも面白いですね。
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